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浜松城日本庭園を見る-1

2020.03.05

■プロローグ
以前、作庭家:鈴木崇氏から面白い写真を見せていただいた。それは6mを越えようかという大きな石を立て、その横で伊藤邦衛さんが嬉しそうな顔で写っている写真である。その写真の巨石は浜松城の日本庭園滝口に使ったと説明を受けた。

これは凄い、こんな巨大な石を使いこなす力術は並大抵の事ではない。自分の目で見なければいけないと思ったが、なかなかその機会は巡って来なかった。今回浜松市まで伺いやっと念願を叶えることができた。

その巨石は滝石組に使われ見事なプロポーションで納まっていた。石の巨大さが自然に溶け込みむしろ控え目に見えるのが不思議に思えた。まさに暴れ馬を手なずける凄腕をそこに見てしまった。

浜松城は明治維新後に廃城となり破壊されたが、1958(昭和33)年に天守閣が再建され、一帯は浜松城公園となった。今回取り上げた日本庭園は1984(昭和59)年、名作庭家:伊藤邦衛によって作られたもので、今日までその魅力は保たれ多くの利用者で賑わっていた。

■庭園を巡る
浜松城日本庭園は公園の中にあるので、庭園の入口が周囲に数ヶ所あった。その為大名庭園の様な限定された導入部の設えが作れず、観賞者が庭園に入る心構えが出来ない。公園の機能上しかたのない計画かもしれないが散漫な感じが残ったのは否めない。

日本庭園の周囲を歩いて入口を探していると小規模な門(北の入口)を発見。門の袖垣はトクサ垣とし格調は高く、誘われるままに入ると意外にフォーマルな佇まい。小さいながら入口はここが正解と確信した。門の袖はアプローチ側を少し長くとり、広場から見ると斜に構えているので外から中が覗えない。中に入ると門と園路も角度を変え、変化のある空間となっている。さらに真っ直ぐ進むと低い石積と生垣に当たる。まさに美しい空間が最初に用意され、左手をのぞくと池が見え隠れする。階段の踊り場は眺望ステージとなり、池と水路の意匠が目に留まる。ここは水門をデザインした石柱を設置した広場で、庭園の「水物語」の最終場面としての設えを整えている。この「水門広場」は下流から上流へ向かうシークエンスが楽しめるスタート空間となっていそうだ。

いかにも伊藤らしい華やかな「水門広場」を俯瞰し、水路を渡ると左手に奥行きの深い下池が展開する。広場から見ると手前の桟橋、奧の木橋、さらに最深部の滑滝がほんの少し見える多様な空間が作られている。池は南北軸に長く東西の斜面は高く、東側は大木で覆われ、緩い西側の斜面は園路などの庭園施設を設けている。午前に訪れた為、光が届かず暗い池となっていたが逆に滑滝の白い泡立ちが効果的だった。

戸田 芳樹

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