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川端龍子邸を訪ねた-1

2018.05.07

■プロローグ
大田区は海に近いので平坦な地形とばかり思っていたが、馬込付近の地形は変化に富み、高低差が多い。この地域は文豪の村として知られているが、今日訪ねる日本画家:川端龍子を始め書家など様々なタイプの文化人も多く暮らしていた。この適度な起伏は美しい風景を作り出し、それに引かれて多くの人が集まり住んだのであろう。

■日本画の巨匠:川端龍子
川端龍子は1885年(明治18年)和歌山で生まれ、10歳の頃家族と上京し19歳の頃から画家を志した。当初洋画志望であったか、28歳の時にボストン美術館で見た日本美術に感銘を受け、帰国すると日本画に転向、その後巨匠と言われる活躍をした。龍子は自ら自宅兼アトリエの建物と庭園を設計し、現在では龍子公園として大田区が管理している。公園であるが時間を決めて学芸員が案内する方法をとっており、十分注意して訪れたい。

■川端龍子邸庭園のおもしろさ
まず門構えが面白い。大谷石の門柱は柔らかい曲線の頂部を持ち、全体にボリューム感があり、ぼってりとした感じだが鈍くは見えない。左右の壁は大谷石積みの上に孟宗竹の天端を不揃いに立て、これまた柔らかくリズム感のある構成にしている。一般に孟宗竹は傷みが早く竹垣に使用しないが、竹の太さをデザインのポイントにしたのは面白い試みだ。他に類似が無いデザインなので竹垣のバリエーションに入れても良い品質を持っている。足元を見ると洗い出し舗装の種石は緑色、あたかも森に誘う雰囲気を演出している様で、オリジナリティがすでに満開状態だ。

門を入ると、折れ曲がった直線の園路に誘われて、建物に向かって歩が進む。園路の両側にも玄関部と少しタイプの違うオリジナルな竹垣が続く。どっしりとした孟宗竹を垂直に立て、安定感やボリューム感満点な姿はシャープな園路との対比が面白い。

さらに竹垣の庭園側は低くして視線を誘導して、この庭園の大事な見せ場を竹垣越しに展開している。その「爆弾散華の池」は終戦間際の空襲で爆撃されて穴が空いた所から湧き出てきた水を貯めて戦争の記念として残したものである。爆撃されたという負のイメージを逆手にとって庭園内に存在させ、あたかも池に見立てて観賞した剛毅さは巨匠の名にふさわしい。

園路の足元を再びよく見ると細かく割った曲線の石を根気よく敷きしめている。あまりに出来が良いので何気なく通ってしまうが、この舗装の模様には何か妖しさが漂っているように感じた。

正面に長くて美しい水平ラインの中門が現れ、背後の広葉樹がその立派さを強調している。フレーミングされた門から折れ曲がった園路が見えるが、決して次の風景まで見せてくれない。折れ曲がった角には壁に合わせた四方形の池を設け、空間を分節していると共に目を楽しませてくれる。さらにアトリエ方向に歩を進めると、園路の真ん中に存在感のある水鉢が現れる。舗装は三角形、水鉢の本体は四角形、水鉢の海は円形と、世の中に存在する平面形を重ねた表現をしている。龍子が描き出す絵画の基本形をこの空間で表現し、訪問者にアトリエの存在を強く受け止めていただき、この空間の意味性をもう一度考えてもらいたいと投げかけたのだろうか。

戸田 芳樹

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