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哲学堂公園を見る-2

2017.09.30

■「唯物園」の楽しみ
次には斜面地の散策路における哲学体験を。この斜面地と下部の平坦地は2つの哲学的エリアに分かれ、西が「唯物園」東が「唯心園」と名付けられ、哲学の基本を対の概念で表現している。広場から階段を下ると「懐疑巷」と名付けられた分かれ道に立つ。哲学は常識に対する疑いから始まるそうで、ここが学びのスタート地点と納得。取りあえず西方の「唯物園」に進む事とする。

しばらく斜面地を進むと下の広場に「物」という漢字が芝生で書かれており、ここが「唯物園」の中心だと直ぐに理解できる。しかしここで哲学はシンプルでわかり易いと油断すると後で大変になってしまう。

この小さな広場の奧には「客観廬」と名付けた四阿がある。客観とは耳目で感じる物的な世界を指すそうだが、座ってみても感じるものは無い。この四阿は「唯心園」の主観亭と対をなしているそうで座り比べが楽しみである。

他にも進化溝、博物堤、理化潭、後天沼、原子橋、自然井、観象梁、望遠橋など日頃お目に掛からない漢字の施設が展開しており歩いているだけで博学になった気持ちになる。

■「唯心園」の楽しみ
深く考える事は止めて、「唯心園」に向かう事とした。対立概念の唯心物の岐路があり、「二元衢」と名付けられた先には哲学用語で語られる空間や施設が続く。「演繹観」と名付けた傘型の亭、「帰納場」という休憩スペース、「意識駅」には2脚ベンチが置かれている。これらの空間を通過し「認識路」を下ると心字池のある「唯心庭」に到着する。ここだけはデザインの意図を持って作られているらしく造園家の私にとってほっとする空間になっている。

心字池は湧水が出る先天泉から水を引き込み池泉廻遊式庭園の中心である。「概念橋」が対岸を結び、池の中に「理性島」を設けているが、これは古庭園の蓬莱島を模して作ったのだろうか。小高い場所に「主観亭」が置かれ、心地池を見下ろし、観賞式にもなっている。ここは主観的なテーマ空間の故なのか、先程の「唯物園」と違って美意識が見え、作者の意図した造形が伝わってきた。

その先にある菖蒲池にはテーマらしき物は見当たらず、明るく広い空間を職人技で埋めており、緊張感から解き放たれる思いがした。

■もうひとつの「哲学の庭」
妙正寺川を渡ったところに「哲学の庭」が近年作られた。ハンガリー出身の彫刻家、ワグナー・ナンドール(1922~1997年)の作品が3つの彫刻群によって表現されている。氏の夫人が井上円了の哲学観に共感し公園への設置を望んだものである。

彫刻群の第1の輪は「異なった文化を象徴する、思想宗教の祖となった人物達」で、老子、釈迦、キリスト、エクナトン、アブラハムの各像。第2の輪は「各々の時代の社会の中で成果を得た人物達」で、聖フランシス、達磨大師、ガンジーの各像。第3の輪は「現存する法律の主流を作った人物達」で、聖徳太子、ユスチニアヌス、ハムラビの各像である。人間より少し大きな寸法のシンプルな具像の象は陽光を浴びて美しく輝く。今まで体験してきた空間や施設よりはるかにモダンで、哲学の世界に入りやすい気持ちもするが、人物が偉大すぎてお近づきにはなりにくく、一回りして帰路につく事とした。

■エピローグ
哲学堂公園を一周して正直なところ困惑してしまった。日頃、言語とデザインの一体性の必要をとなえていたのだが、抽象的な哲学用語を用いた空間を作るのは至難の技、いや少なくとも自分には出来ないのでは無いかとこの公園を体験して感じた。言語と空間を結び付けるのはかなりの荒技で、人が持つ多様な感性との折り合いが上手くいかないであろう。教養主義的に学ぶのもひとつの姿勢と言えるが、庭園やランドスケープ空間はもっと感覚的なフィーリングにより向き合うべきだろう。人の精神を解き放ち自由にさせる力が、ランドスケープデザインにはあると私は信じている。哲学堂公園を探訪して「これは私の世界とは違う」との思いは重要な発見で、今後計画する上で糧になったと感じた。

戸田 芳樹

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