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小林忠夫のランドスケープデザインを見る-1

2014.09.08

■プロローグ
今回は大学の同級生だった小林忠夫について話してみたい。小林は竹中工務店の設計部に在籍、ランドスケープアーキテクトとして活躍したが、惜しくも1998年、50代になったばかりの若さで没した。

■同時代の仲間
私が入学した東京農業大学の造園学科では、日本庭園の講座がなく、発足したばかりのクラブ「日本庭園研究会」に入会した。一緒に入会した小林と小石川後楽園での見学会で出会った事をよく憶えている。

この研究会は作庭家重森三玲の流れを組み、重森を尊敬する余り、少々原理的な色合いを持っており、それを嫌った小林は早々と姿を見せなくなった。かれは古典より、むしろアメリカの最先端のランドスケープも興味を持ち、英語力を生かし翻訳なども学生時代から行っていた。

その後私が独立した頃時々会って話をしたが、最近ではお目にかかれない破滅型タイプの男で、酒とタバコを愛し、朝までしつこく話すのが常であった。会社のストレスも相当であっただろうが、技術者、デザイナーの高度な集合体であるゼネコンで揉まれた経験とその立場を活かせたのはランドスケープアーキテクトとして幸せであったと思う。

■ランドスケープアーキテクトの役割
私達のプロジェクトは構想から計画、設計、工事、管理の流れがあり、ランドスケープアーキテクトがどの段階で関われるかでその役割が大きく変わってくる。構想、計画では空間デザインまで進める事は出来ず、設計監理まで携わり、始めて個々のディテールの責任までとれる。また維持管理を体験すれば、作品の年月による変化とそれに対する対応に接する事が出来る。ゼネコンに勤めた小林は自立した意識で、全てのプロセスに立ち会い、様々な経験した事が大きな持ち味として作品に反映されたのである。

小林の作品に共通するのはシンプルでミニマムな空間をモダンに作り続けた事である。しかしこのデザインから日本の美意識が見え隠れし、何故か懐かしさを感じてしまう。この様に感じるのは私だけなのであろうか。彼が京都の出身である事や、大学で最初に日本庭園に興味を持っていた点などがその底辺にあるからであろうか。作品を見ながら、これらの事を推理してみたい。

■IBMビルのランドスケープ エントランス部
まず、1989年に竣工したIBMビルへ。ここは成田空港の玄関、箱崎に位置し、隅田川に接したサイトであるが、決してランドスケープとして恵まれた場所ではない。
建物は特色のない高層のオフィスビルで、お茶室を有する別棟の迎賓館が目立つ程度である。その土地に小林は「日本の心」をコンセプトにして、現代の都市空間に多様な表情を持った廻遊式庭園を作り出した。

入口は広い開放的な空間で大振りなカツラを列植し、独特の香り(カツラは結構良い香りがする)が導入部を演出している。正面の玄関に向かう幅の広いアプローチ園路はわずかな上り勾配なので、奥行きが深い整形でありながら空間に動きが感じられる。

隣地との間の植栽地は外に向かってわずかに高く造成し、ヘデラの緊密な植栽が、まとまりのある空間を創り出している。さらにモミジをリズミカルに列植し、「地」となる常緑広葉樹を用いフォーマルな装いとしている。園路の端部は幅広い側溝のような舗装で、立ち上がったエッジは園路を鋭く浮かし、そのわずかな高低差が不思議な空間体験を与える。

戸田芳樹

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