[本文はここから]

京王プラザホテルを見る-1

2014.08.25

■プロローグ
私が大学に入った1960年代の新宿西口はカオスとでも言えるような街であった。まだ戦後が終わってない様な空気感があたりにただよい、ざらついて薄汚い景観が広がっていた。当時、地名の淀橋を店名にした「ヨドバシカメラ」が誕生したばかりで、駄菓子屋を思わせる引き戸を開け、安いフィルムを買いに行ったセピア色の記憶が私には残っている。

■最先端のまちづくり
1970年代に入ると新宿西口の開発が始まり、超高層ビルの第1号として京王プラザホテルが生まれた。ここは海外の有名プロレスラーが定宿として使っているホテルで、プロレスファンの私にとって懐かしい場所であった。

今回は超高層ビルの草分けである京王プラザホテルのランドスケープデザインを探ることとした。新宿西口からトンネル状の道を進むと、前方に地上部が見え始め、ケヤキ並木が見事な一角に到着する。新宿西口エリアの地形は新宿駅から西に向かって徐々に下がっており、地下1階を進むと自然に地上部となり、各々の建築ではこの高低差を利用した建築への出入口の計画をしている。

この緑量の多いエリアは西口でも特筆される気持ちの良い空間である。ここでは道路のケヤキ並木と建物外構部の雑木林が立体的に重なり、緑に包まれている様な気持ちが体験できる場所である。

■深谷光軌というランドスケープアーキテクト
京王プラザホテルの外構部のランドスケープデザインの設計者は深谷光軌(1926~1997年)で、この場にたたずむと、空間の構築力やデザイン力、細部に至るディテールが素晴らしいことが分かる。現代に通ずる質の高さが今も垣間見られる。

深谷光軌は性格の厳しさから「孤高の人」と称され、造園の世界とは一線を画す為、自分のフィールドを「外空間」と名付けて活動した造園家である。

京王プラザホテルの外構空間(1971年)は超高層ビル群の一角に設けられた都会のオアシスとも言える空間である。ヒューマンスケールを無視した固い都心空間が連続する中で、単なる造園緑地ではなく、東京の自然のシンボルである武蔵野の雑木林を都市型にしつらえた空間を深谷は生み出した。

高低差のある建築計画を逆手に取り園路、広場、斜面の素材を白河石や芦野石等の地味で柔らかい質感のものを上手く扱い、シームレスに連続させた独自の空間を作り上げた。人工建造物では作れない雑木林の豊かさと、優れた空間構成は現在も多くの人にさわやかな印象を与えている。

深谷の石材の扱い方は、表面の仕上げ、大きさ、高さを微妙に変化させ、光の当たり方、樹影の変化、足元の感覚をコントロールして、小さなスペースでも多様な景観を作ることに特徴があった。彫刻家、流政之が多用した「磨きと割れ肌」を微妙に使い分けて、日本美を表現した繊細な手法が見られる。

これらの石材のデザインは現在、第一線で活躍しているランドスケープアーキテクト達にも大きく影響しており、鈴木昌道氏を始めその弟子筋の吉村純一氏の作品にも垣間見ることが出来る。

先日、シンガポールで訪問した事務室から隣のビルを見下ろすと、まさに深谷的デザインに遭遇し、海外まで伝った普遍的なデザインなのだと深い思いにとらわれた。

■深谷光軌のコンセプトはシンプル
深谷は自著の中で自分の作品は「自然を愛する日本人の昔ながらの心が、形を変え素材を変えて、現代の冷たい空間と、現代人の乾いた気持ちに割り込めるだけの強さを持っている」と述べている。さらに「目指したのは、迫力ある外空間を作り出すことで、そのために空間構成は〈自然な自然〉と〈意図された逞しい自然〉の組み合わせたものとした。

〈自然な自然〉とは、穏やかな流水と転石、風を見せる落葉樹に代表される植物群。

〈意図された逞しい自然〉とは、幾何学や方向性を感じさせる敷石や石組、激しい流水に逆らって突き出された石。

この2つの自然をコンセプトに、京王プラザホテルのランドスケープは展開しており、自然が美しいだけの空間ではなく、作者の意図があらゆる所に表出し、緊張と弛緩が繰り返される作品となっている。

戸田芳樹

[ここからはカテゴリ内ナビゲーション]

NEWS

  • 株式会社 戸田芳樹風景計画
  • 〒151-0053 東京都渋谷区代々木1-36-1ミユキビル3F  Telephone:03-3320-8601 / Facsimile:03-3320-8610
  • COPYRIGHT © Yoshiki Toda Landscape & Architect Co.,Ltd. All Rights Reserved.