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大田黒公園を見る-1

2014.04.16

■プロローグ
大田黒元雄の名はクラシック音楽ファンにとって、懐かしい名前である。1893年(明治26年)東京の裕福な家に生まれた元雄は早くから渡欧し、海外の作曲家や演奏家と接し、最新情報を日本にもたらした音楽評論家の第一人者であった。NHKラジオの「話の泉」ではダンディな語り口で当時、茶の間の人気を博した。

公園はJP荻窪駅より徒歩10分、遠くから樹林が見え隠れする、地域のランドマークとしての存在も有している。約2,700坪の自邸跡地の大部分が杉並区に寄付され、それを造園家・伊藤邦衛が設計して、1981年(昭和56年)に竣工した。伊藤邦衛は1947年(昭和22年)東京農業大学造園学科を卒業、清水建設を経て独立し、次々と魅力的な作品を世に出した私達世代の憧れの大先輩である。

■公園入口広場の意匠
さて、入口から見ていこう。公園の入口には切り妻造りの正門と袖壁があり、本格的なしつらえは和の表情を見せている。この小さな入口広場を注意深く見ると、目にとまるデザインがそこかしこにあり、スタート地点から伊藤節全開の世界が展開する。

広場デザインは施設全体を低く抑え、控えめにしているのが好ましい。刈り込みも竹垣もスライド式の人止め竹も低く、自然と視線が下がり足元に行く。視野に入る砂利舗装は2種類あり、人が立つ場所は細かなサイズの砂利で、奧の塀近くは大きなサイズを用い、穏やかな変化で場所を意味付けしている。正門の下の縁石の幅は外に狭いもの、内に幅広を用い、安定したバランスを見せている。道路との接点には広場側にわざわざ縁石を設け、広場の領域性を強く主張しているデザインは珍しい。

また公園の北側の道路に対し、長い距離を生垣で修景している。基壇を雑割のどっしりとした石積みとし、生垣はサザンカ、根際には足元の透けを隠す低木を用い、京都の寺院の様な風情を醸し出している。秋に来てサザンカの花を見たいものである。この様な風情のある景観がなぜ東京ではあまり作られないのであろうか。

■伊藤流庭園デザインの展開
正門から中へ入ると、70mの直線に敷かれた石畳が訪問者を驚かせる。イチョウ並木はシンメトリーで少々固い表情であるが、後方に控える常緑中木や竹の配置の柔らかさがこれをカバーしている。公園の中心は雁行した休憩室があり、ここから公園全体を眺める。伊藤は設計前、おそらくこの地点に立ち計画地全体を見わたしたであろう。そして東側に向かってなだらかに下る地形を見て、立ち所にマスタープランは出来たのではないかと私は推測した。

水の扱いを得意とした伊藤は地形の高い中心地から水を流し始め、中央に広い空間を残しながら一番低い地を池にした現在の形、つまり「水の物語」を作ろうと思ったであろう。休憩室の裏手に湧水部を作り、建物をまくように水を流し、茶室前では蹲踞等とからめてきめ細やかな空間を作っている。この公園において伊藤は、建物外構としての水の扱い、自然風の流れの扱い、近代的デザインの池の扱い、この3種類の水の扱いを何の矛盾もなく見事に連続してデザインしている。

伊藤は日本庭園と西洋庭園のデザインを巧みに引用し、足したり、引いたり、掛けたり、割ったりして、ランドスケープデザインを自在に扱った名人であった。伊藤の作品で見られるデザインの豊かさは作者の意図だけではなく、計画の背景など様々な状況によって生まれる変化を巧みに利用した産物であった。それらの意味を作品を通して深読みすれば、伊藤の作品は益々身近になり、おもしろく語り継ぐことが出来よう。

戸田芳樹

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