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古河市を訪れた

2012.05.05

5月5日、茨城県古河市を訪れた。わざわざ茨城県と書いたのは東北本線沿いにある為、栃木県だと私が長いこと勘違いしていたからだ。そして、魅力的な文化財が数多く残され、活用されている街であることも訪問して始めて気付かされた。

城下町の名残りがそこかしこにあり、道が直角に曲がると思いがけない風景が連続する。まず、今年の4月にオープンした「お休み処 坂長」へ。ここは江戸時代初期から古河城下で営んでいた商家を修復し、建築年代の異なる五つの蔵とひとつの母屋で構成した施設である。建物と空地とのバランスが良く、造園デザインも抑え気味で趣味の良さが感じられた。センスの良い建築家が丁寧にデザインし、よき施工者に恵まれ、熱心な管理者の連係プレーの賜物であろうと考えた。

そこから数分歩くと緑の濃い空間に出会った。お堀があり歴史を感じさせるのだが、石積みが新しく修景的と言うか造園デザイン的な感じがし、滝まで造っているのでなんだか少し変だ。さらに進むと浅い水面下に、重森三玲作の友琳会館の様な渦巻きデザインが見え隠れし、益々興味が高まる。これは名のある造園デザイナーの作品に違いないと考えさらに進むと、斜めに突き出した数十本のパイプから水が飛び出す噴水があった。

そうだ、この作品は鈴木昌道氏に違いない。この噴水は他の作品にもあったではないか。古河城の諏訪曲輪(出城)跡地のお堀に、白い花崗岩の割り石を西洋風に大胆に積み、間に自然石をかまし、水底をデザインしている。歴史的空間の自然に対して挑戦的に立ち向かっている事は良く解る。造園空間としては珍しく風景に溶け込まず、作品として浮き上がって見えてくる。なじませる造園空間にするのか、あくまで作品として「図」になることを意識するのか。完成して四半世紀を経たこの作品を今私達はどう評価すべきか議論を深める必要があるのではないか。

因みにここ歴史博物館の建築は吉田桂二が設計したもので、1992年日本建築学会賞を受賞している。また、造園設計者の名前はウィキペディアで調べても記されていない。契約的には下請けだったかもしれないが、市の文化的施設にこれだけインパクトを与えているのだからどこかにその表記が欲しい。寂しい思いがこみ上げてきた。

博物館と対照的なたたずまいが、向かいにある鷹見泉石(古河藩家老)の晩年の居宅である。修復され公開している庭園は住宅でありながら何気なく回遊できる、優しくて柔らかい空間である。目を驚かせる造形はないが、周囲の樹林地をバックに高低木、石造物、竹垣の景を地味な飛石が誘導してくれる。これもまた、豊かな空間である。

この歴史地区は散策路で、永井路子旧宅や古河街角美術館、篆刻美術館、古河文学館などが結ばれており、市民の憩いの場として、観光客の訪れる場として親しまれている

次に古河総合公園に向かう。

戸田 芳樹

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