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重森三玲の展覧会

2012.01.14

重森三玲の展覧会「北斗七星の庭展」をワタリウム美術館で見た。(会期 2011年12月4日〜3月25日) 
ワタリウム美術館は日本庭園に対して造詣が深く、以前稲田敏郎先生(東京藝術大学名誉教授 故人)が晩年に講座を定期的に開催し、専門家筋では大変好評であったことを記憶している。

さて重森三玲の名を造園界に知らしめたのは日本庭園史図鑑全29巻の発刊である。
京都を襲った室戸台風の惨状を目の当たりにした三玲は庭園復興の根拠として庭園現況図の必要性を感じ、少数のスタッフを自ら率い実行に移した。
1936年(昭和11年)からおよそ3年間の驚異的なスピードで、全国の400庭以上の古庭園を実測し、日本庭園史を一気に体系化した。そして測量を進める一方、古庭園から作庭を学び独自の庭園観に基づいて生涯200庭あまりの庭園作りをおこなった。

私が東京農業大学に入った1966年(昭和41年)、東京の日本庭園研究会という三玲の流れを汲んだ団体に導かれ、京都合宿に参加した。
その時三玲と出会い、解説を受ける幸運に浴した。また、三玲作の大徳寺の瑞峰院庭園も参観し、私にとって永遠に忘れない庭園のひとつとして心に焼き付いている。

つい最近まで重森三玲は異端視されていた。
研究者グループからは大学の派閥に属していない民間の研究者である事や、文献調査の不足や論理構成が強引であること等でアカデミズムから無視された状態が長く続いた。
そんな状態でありながら、三玲の測量図をちゃっかりと引用していた学者もいたのも確かだった。

また、実務の造園家達からも三玲流の立石の多い石組みは蛇蝎のごとく嫌われていた。
これは日本庭園ではないと。
確かに、凡庸な造園家が見れば落ち着きのない、強すぎる庭園であったに違いない。
冷静に見ても、地域の風土に根ざした思想や技術は作品から抜け落ちており、材料は青石、杉苔、砂敷、丹波石張り、創作垣を繰り返し使い、植栽デザインにおいても見るべきものがない。

かなり特殊な庭園なのだが、その強さは人を魅了する何かがあるのは確かだ。
私がこの世界に入ったのもその魅力に取り付かれてしまったからである。

しかし、今評価の風向きが変わりつつある。
テレビのコマーシャルや展覧会など、現在評価されるのはなぜであろうか。私なりにはこう考えたがどうであろう。

1.突出した個性……自分のスタイルを崩さない
イサム野口に庭園の手ほどきする程
2.全人的な生き方…諸文化を生活の中で表現
分野間の交流と指導者としての姿
3.行動力の持続……日本庭園史大系を再編する力
自ら作った林泉協会の継続

世の中がとても面倒で不安定な今、息を小さくして黙している人も多くいるのではないだろうか。その様な人は重森三玲とぜひ向かい合ってオーラを浴びたらいかがであろう。

戸田 芳樹

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