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小石川後楽園見学会を行いました

2011.04.27

春のうららかな土曜の午後、戸田の解説による小石川後楽園の見学会を有志で行った。
まず、戸田から小石川後楽園のなりたちについて、歴史的に4つの時代に分けで歴史の説明を受けた。


①寛永6年(1629年)初代、水戸頼房が三代将軍家光より25ha土地を拝領し、中屋敷としてこの地に建設した。庭園は寛永8年頃,作庭家徳大寺左兵衛が地勢を利用した池泉を設け完成した。

②寛文元年(1661年)二代、水戸光圀は自身が学んでいた朱子学の世界を明の遺臣、朱舜水により,支那風景として表現した。唐門,西湖の堤、円月橋はこの時代に作られたものである。

③元禄15年(1702年)五代将軍綱吉の生母、桂昌院が後楽園を訪れることとなり、園路に沿った石組などが危険ということで取り外した。以降、地震や火事などにみまわれ、衰退をたどり荒廃した。

④明治12年(1879年)、東京砲兵工廠の敷地に入り、庭園が解体されそうになるが、山県有朋の意見で保護された。


現在庭園の入口は、飯田橋よりの涵徳亭の位置にあるが、庭園物語にそって回遊すべく,水道橋駅側から出発した。
後楽園は、桃山時代様式のなごりのある池泉回遊舟遊庭園として生まれ、中山道、東海道や京都の風景を取り入れた空間構成と,万葉集や能の謡曲にうたわれた内容を取り入れた文学的空間を重ねてつくったものである。
その後の整備で、中国の儒教の世界も重ねられ,複雑な空間として表現された。

戸田の解説はその空間の意味合いやなりたちと読み解きと共に、用いられている素材、ものの納まりに至る多様な視点からの解説で、どんどん話に引き込まれただけでなく、庭園の見方が様々であり、随所に見どころがあることに驚かされた。
また、戸田の話す庭園の物語に、いにしえの人がどのように庭園を活用し、楽しんでいたのか思いをはせた。特に唐門から入った中山道を模した山路は、緑量豊かな山々と木曽川のせせらぎの中を見え隠れしながら先への期待感を抱かせるような園路が作られ、その先は突然開けて豊かな水をたたえた大池(琵琶湖)を見下ろす演出がなされていた。
他にも京都の清水寺や中国の廬山を模したつくりなど、庭園内の各所にダイナミックな風景とそれを演出するきめ細やかな作り込みがなされ、その多様さに圧倒された。
また、園内に農の風景を作ったエリアは、水田や梅林があり、おおらかなつくりで園内の他の所とは違った雰囲気づくりがなされ、心穏やかにさせられた。

このような庭園の中で緩急、剛柔のような対比をうまく用いた作り込みやデザイン手法は、庭園の枠にとどまらない日常業務で行なっているデザイン展開方法のよい参考事例となった。

古賀健一

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