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福山城福寿会館庭園との出会い

2011.06.11

6月11日の朝、姪の結婚式の為、広島県福山市に滞在していた。
少し時間があったので、福山城の北部の武家屋敷を見ようと散策に出掛けたが、そこは30年前の面影はもはやなく失望しながら歩いていた。
ところが、福寿館という施設が天守閣の北東部にあり、なぜか魅入られるように入ってしまった。
入口部には立派な唐破風の玄関を持つ和館と瀟洒な洋館が並び建ち、文化の香りを周囲に振りまいていた。
あまり期待しないで洋館の狭い通路から庭園に出ると、思いもかけない高品格な露地と茶室が現れた。
外露地、内露地、外待合、内待合、雪隠、蹲踞がバランス良く心を込めて配置され、茶の世界の全てのアイテムが展開されていた。
特に江戸時代の茶人、金森宗和の考案したといわれる中潜りは珍しく、露地の風格を一段と高くしていた。
この茶室は望城亭と呼ばれ、数寄屋造りの巨匠、京都の笛吹一郎が昭和9年から13年にかけて魂込めて造ったものとパンフレットにある。
ともかく繊細で精密な造作の露地で、小振りな敷石と飛石を息をつめて歩くと、様々な趣向と景色が用意されており素晴らしい時間が体験できる。
和館に面する庭園は小規模な池泉回遊式庭園であるが様々な趣向が凝らされており、楽しませてくれる。
大振りな踏脱石からは福山城天守閣がバランス良く見え、この庭園の主題は借景である事が理解できる。
建物側の飛石は大きい石をダイナミックに扱い、繊細な露地との違いをデフォルメしている。
池泉には奥行きのある小振りな瀧が2箇所あり、舟石や護岸石組等の技術は高く、見せ場を作っている。又、池に架かる橋は石の欄干が付いた太鼓橋で、当時の石造技術の高さが見てとれる。
この庭園は京都の作庭家西村氏の指導により10年の歳月を費やして造られたそうであるが、その価値を感じられる。
後楽園や浜離宮等と比較は出来ないが、昭和初期の庭師の心意気と技術の高さを感じとることが出来る。

ではこれらの施設を作ったのは誰であったのだろう。明治時代、福山城の周囲は民間に払い下げられ梨畑として使われていた。
これを1930年代、海産物商で削り節の考案者で「鰹節王」と呼ばれる安部和助(あんべわすけ)により大規模(約7,400㎡)な別荘が建設され、庭園を含めた当時の姿が今もある。

福山大空襲で天守閣が焼失する中罹災を免れ、その後福山通運創業者、渋谷昇が買い取り、福山市に寄贈された。
短い見学時間であったが、私は思いがけない所で宝物を発見した様な気持ちになった。
このレベルの庭園と露地は正確に測量調査し、記録に残し、今の私達も学ぶと同時に後世の勉学に役立たせるべきではないかと強く思った。

戸田 芳樹

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