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小田原の近代庭園を見る 2/2

2011.05.29

古稀庵見学後、雨足も強いので少し早いが隣接する割烹旅館山月で昼食をとる事とした。
この旅館がすごい造りで、3,500坪の庭園は奥が深く玄関に中々たどり着かず、本当にここで食事がとれるのかと不安にさせる程だ。
大正9年(1920年)実業家大倉喜八郎が建てた別荘を改造したもので、斜面に立つ細長い建築の各部屋の天井、欄間、床の間、建具類が凝りに凝った作りで目を楽しませてくれる。
伊藤博文贈呈の板戸もあり、当時の財界と政界の交流を垣間見ることも出来た。
美味しく蕎麦をいただいた後、すぐ近くの松永記念館、老欅荘に向かった。
松永安左衞門(耳庵)は「電力王」と称され、日本の電力事業の礎を築いた人として知られている。
昭和21年(1946年)耳庵71歳の時、所沢より小田原の地に移り住む為に建てたもので、玄関部にそびえるケヤキの大木に由来して「老欅荘(ろうきょそう)」と名付けた。
耳庵は夫人と共に95歳でなくなるまで、過ごすかたわら多くの茶会を催し、谷川徹三、志賀直哉といった文人や、堀口捨巳、谷口吉郎ら建築家を招いた。

まず記念館の庭園を見てみよう。
庭園は何気ない形の池を中央に配し、周囲に散策路が巡らされ、奥部に茶室が2棟軒を並べている。
茶室も興味深いが、ここでの見所は奈良・平安時代の石造美術。礎石、石橋、五重石塔等、マニアにとっては垂涎の名物が並んでいる。

池を離れ、庭園上部に向かう石段を登ると、この地のシンボル樹のケヤキに出会う。
その脇を通過して、土塀に囲まれた近代数寄屋建築「老欅荘」に到達する。四畳半台目の茶室や、三畳大の床の間がある広間、母屋に取りつく三畳の寄付き等、建物の意匠が客を迎えてくれる。
広間に座って庭園を眺めれば、先ほどのケヤキが背景として存在感を示しており、シンプルな庭園と共におだやかな雰囲気をかもし出している。

そして、よく見ると、土塀の中央が少し凹んでカーブしているのが分かる。
一瞬見逃したのだがこの何とも言えない空気感を感じるのは、天端の柔らかな曲線かもしれない。
そして、驚いた事に、庭園の外側から塀を見ると真っ直ぐではなく平面的にも曲線がかかっているではないか。
これは設計図で表現するには大変勇気が必要だ。たぶん現場において、耳庵が指示して作らせたのであろう。
作品に接して不思議な感じを持った時には、必ず理由があるといつも感じていたが、それは事実であった。
この様な何気ない土塀ひとつで空間の仕組みを作り、人の心を打つ作品に出会った喜びをかみ締めている。

ゆっくりと又来て見るべしと思った。

戸田芳樹

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